月別アーカイブ: 2017年5月

学校安全と危機教育 第11回

不登校は家庭での危機的場面からも起こる

その1
危機的場面で起こるストレスには、睡眠障害、食欲障害、退行的行動、児童・生徒の赤ちゃん返りや幼稚化、心身症の訴え、学校への不適応症状などがあります。

学校で大きな事件・事故が起こったときには、日頃から気になる子どもは、特に大きな影響を受けます。

例えば、いじめられていて、部分的に不登校状態であったり、たまに学校を休む子どもは、学校で大きな事件・事故が起こったとき、大きなダメージを負い、本格的に学校に出てくることができなくなる場合が多いのです。

やはり、危機に対して、強い子とそれに耐えがたい子が出てきます。

我々、教師として気を付けなくてはいけないことは、日頃から、問題を抱えている子は、大きな・事件・事故に巻き込まれたときに、不適応が本格的に表面化するということです。それは、過去のデータからも明らかです。

もう1つは、家庭に癒しの場を持っている子とそうでない子の両方がクラスにいることに留意する必要があります。

学校でいじめられたり、大変な事件・事故があったとき、子どもが持って帰ってきた精神的な不安感を母親や家族が十分受け止めてあげる必要があります。

家でそのような癒しの雰囲気を持っている家庭の場合は、子どもが癒されるのです。

いじめにしても同じです。

長崎県佐世保市の小学6年生の加害児童は、友だちとの間で生じたネットの上での憎しみをあれだけ多く抱いたままでいて、抑えきれないほどの怒りを持っていました。

もし、母親や家族に、心の癒しを求めることができていたらどうだったのでしょうか。

「お母ちゃん、私悔しい。あの子に、ああいうことを言われているのよ。ネットにああいうことを書かれたのよ」とか「お母さん、私、もう、学校行くの嫌」と訴えるなど、母親や家族に思いのすべてをぶちまけ、本人の心を癒すことができていたらどうだったのでしょうか。

加害児童は、1人でずっと怒りをため込んでいて、それが頂点に達し、あのような事件に発展したのではないかと推察されます。

専門家の発想ですが、私は、家庭とは、子どものいろいろなストレスとか怒りの気持ちを、スポンジのように吸い取るような機能を果たすものだと思います。

その家庭が、ストレスや怒りを逆に倍増させるところであったとしたら、子どもにとっては逃げ場がなくなり、ますます、危機的な場面が避けがたい現実になるところまで、追い込まれてしまうでしょう。

ですから、もし、学校に危機が起こって、子どものケアをしようと思ったら、必ず保護者を呼んで保護者に協力を仰ぐことが要求されます。

学校での対応を伝えた上で、子どもが家に帰り、いろいろとお母さんに話しかけてきたら、その話を聞いてあげたり、子どもがしがみついて「一緒に寝て」と言って抱きついてきたら、たくさん抱きしめてあげてほしいと思います。

そのような家庭の癒しのプログラムへの協力をお母さん方にお願いします。

心の癒しについては、学校の先生方が勉強されて、学校だけで対応しても、限界があります。

子どもたちが一番おびえる夜は、家で体験するわけです。

夜というのは、子どもにとって、不安が再現される1つの場面でもあります。

そのような重要な場面を十分フォローしてくれる保護者の協力が不可欠です。学校側は、家庭に積極的に支援を頼まなくてはいけません。

その2
それともう1つは、我々の研究の結果からみると、子どもの心は非常に傷つきやすいのだけれども、立ち直りも速いということを忘れてはいけません。

彼ら・彼女らは成長と同じように、傷からの快方も速いのです。

一般に、外国の文献でもそのようなことが言われています。

子どもたちは、傷つきやすいんだけれども、我々の対応次第では、子どもの成長と同じように、非常に速い回復の力を持っていることを忘れてはいけないと思います。

次に、危機時の教師のバーンアウト、燃え尽き症候群の問題についてです。

私は、学校教師というのは、責任を問われたり、危機に陥ったりしたときに、非常に無理をする職業的な立場にあると思います。

看護婦や学校の教師のようなヒューマンサービス、人間援助の教育という視点からみると、当然、指導し世話をするのが、学校の役割だと教師は思うものではないでしょうか。

相手から求められると、すべて、提供しなくてはいけないような立場にあり、ついつい無理をしてしまいがちです。

教師のバーンアウトに対しては、情緒的、身体的、精神的な兆候に注意する必要があります。

燃え尽き症候群になってしまうと、絶望感、無力感や、もうどうなってもいいといったあきらめの気持ちが強くなります。

身体的には、胃痛、頭痛、過食、不眠、眠れないなどの症状などを訴えるようになります。

精神的には、仕事に集中できなかったり、仕事のコントロール感がなくなってしまいます。

期限内に自分の思うように仕事を終えることができななります。

しかも、どこまでやれて、どこまでやれないのかといった自分の仕事量を計算できない状態で、計画に沿って仕事がはかどらなくなります。

このような兆候があると、エネルギーを全て使い切ってしまっている状態、バーンアウトの状態だと言えます。

ここまで陥ってしまい、全く無表情になってしまってからでは、対応は遅いのです。

バーンアウトについては、事前にチェックして、周囲が気付いてあげなくてはいけません。

特に管理職、同僚の教師は気付いてあげたいものです。

この燃え尽き症候群は、大変な事件・事故が起こると必ず2次災害として起こる可能性があり、確認しなくてはいけないことです。

その3
心の癒しの教育プログラムには、自由時間、フリー・プレイ、絵画と作文、クラス討論、朗読と合唱、ボディーコンタクト・ゲームなどがあります。

大きな事件・事故があった後は、いきなり授業を行うのではなく、このプログラムを実施したいものです。

私が大学附属中学校の校長のとき、須磨区の少年事件が起こりました。

この事件では、中学生が一番、ショックを受けていると私は感じました。

それで、翌日、臨時の全校集会を開き、「君たちは、大変なショックを受けたことでしょう。

同じ君たちの年代の中学生が犯人として逮捕されたのです」と話した上で、土師淳君へのご冥福を全生徒で祈りました。

どんなことがあっても、人の命を奪うことは許されないと話をしました。

集会では、15分程度、そのような話をして、生徒を教室に戻しました。

しかし、翌日の新聞によると、いきなり教科書を開いて授業を始めようとした学校があったそうです。

その学校では、「こんなときに、いきなり授業ですか」と先生に抗議した生徒がいたとのことでした。

私は、その記事をみたとき、そのような事態では、いきなり勉強に入るよりも、我々は、子どもたちの動揺した気持ちを汲んで心の教育を行いながら、次第に子どもたちの気持ちを落ち着けてあげる取り組みを行うべきだと思いました。黙祷や冥福を祈るということは、子どもの心を落ち着けるのです。

逮捕された犯人が自分と同じ中学2年生であり、自分たちと同じ年代として、大なり小なり責任を感じている面もあるはずです。

下手をすると、同じような残酷な行為を自分もしてしまうのではないかと不安を抱いている可能性もあります。

そのような心の揺れや恐れの気持ちを十分に教育の現場で癒してあげる必要があります。

私は、授業というのはそのような形の心の教育も必要だと思います。

カウンセリングというものには、信頼関係の確立、情緒表出の促進、傾聴すること、共感すること、勇気づけと希望を育む支援という専門的な基本事項があります。

やはり、信頼感のもてる人がサポートをすることが重要です。

しかも、傾聴や共感の中で、思い切り泣かせたり、怒りを思い切り出させ、決して抑えない。

そして、罪悪感やその悲しい気持ちを聞いてあげます。そして、「私も悲しい。本当に大変なんだよね」と共感します。

がんばってねではなくて、がんばろうねという感じのお互いの共感性がポイントです。

それから、勇気と希望を持つことができるように、徹底してかかわることが大切です。

きっとあなたは立ち直れるのだよというような勇気づけのかかわりです。

そして、最後に、私が話した内容をまとめて組み立てれば、これからの教師の研修プログラムになります。話の中で、私は、危機対応のチェックリストも紹介しました。

私の話は、『教師のための学校危機対応実践マニュアル』(編著、2003金子書房刊)の中に非常に詳しく書いてあります。

もし、校内研修で、講師を務めることがあれば、その著書をテキストに使われてもいいのではないかと思います。
(上地安昭元兵庫県立教育研究所・心の教育総合センター所長)

学校安全と危機教育 第10回

心のケアをどう進めるか

その1
危機対応の体制づくりができたら、次の問題は、心のケアです。

これは先ほどもふれたとおり、このような危機に直面したときには、誰でも異常な精神状態に陥ってしまうと説明しました。

この異常な精神状態では、「もう、自分はだめだ。自分は死んでしまう。自分は命がない。」と思い、計り知れない恐怖心、不安感に襲われます。体が震えるどころではなく、全く身動きがとれない状況になるのです。

その後は、否認と逃避が起こります。

危機に直面した異常な事態では、「これは現実ではない夢ではないか」と思うようになります。

佐世保市の小学校の事件の被害児童の父親である御手洗さんは、娘さんを失ってからも、自分の娘が死んだというのが、自分が受け入れられない、信じられないようなことを繰り返し、言っていました。

このような事件の直後には、娘の死が受け入れられず、親はその死を否認します。

このコメントを読んだ池田小学校の事件で子どもを亡くした保護者の方が、全く私と同じ心境だと新聞で語っていました。

最愛の息子・娘を失った親は、しばらくの間は、子どもの死を現実として、受け入れられないのです。

医者から、定期健康診断でガンだと宣告されたとしましょう。

しかも、かなり進んでいて、後数ヵ月の命だと言われたとしたらどうでしょうか。

まず、このことを受け入れられないのではないでしょうか。

だから、数ヵ所の病院をまわってみてから、やっと、自分はガンなのだろうかと思うようになり、医者の言葉を受け入れざるを得なくなります。

公務員あるいは教師が、酔っぱらい運転の上に、ひき逃げ事故を起こしたという記事を新聞でたまに見ることがあります。

この行為について、異常な事態における正常な心理だという人もいます。

教師である自分が酒を飲んで事故を起こすことは、絶対にやってはいけないことです。

自分で容認できる自分ではないのです。

だから、「あれは、人じゃない。物にぶつかったのだ」とそう思い込むようにして逃げてしまうのです。

しかし、しばらくして、冷静になると、それは否定できない事実だと分かり、引き返さざるを得なくなるのです。

このように、現場から逃げてしまう心理は、専門家の言葉を借りると、このときの精神状態は「異常な事態の正常な心理」だと表現でき、弁護する人もいます。

人間というのは、異常な事態に陥ると、むしろ、異常な心理というのが当然起こってきます。

これほど、人間というのは、思いがけない生命を脅かされるような危機に会うと、そこを一時的に逃げるか否定するのです。

それが、否定できない現実だというふうに、向き合わざるを得なくなると、今度は、この原因に対する怒りと攻撃の心理状況になります。

それは、学校に対する怒りであったり、加害者に対する大変な怒りであったりして、心によみがえってくるのです。

その時には、「謝罪なんてとんでもない。許せない」というような怒りと攻撃心で一杯になります。

その2
しかし、その状態には、限度があります。

限度を超えた後に来るのが、自責と罪悪感です。

なぜ、大勢いる中で自分が、こんな目に遭わなければいけないのか。

大勢の子どもの中で、自分の子どもだけがなぜ犠牲になったのかと思うようになります。

以前には、「学校のせいだ」とかいろいろと言っていたのだけれど、結果的には、自分を責める心理状態になります。

その思いというのは、「私はこの子に本当にそれなりのことをやってあげられたんだろうか」「自分がこの子どもの悲劇を生んだのではないか」というように、自分を責めるのです。

あるいは、「神様の罰が当たったんではないか」と思う。

人間というのは過去を振り返ると、どこか、自分を責めるところがあるのです。

自分が悪いことをしたので罰が当たったのではないかと、自分を責める状況が心の中で起こってくるのです。

そうしたときに、自分に責任があるのではないかという自責感を持つようになります。

極端なことを言うと、自分が殺したのではないかとまで思ってしまうのです。

そうすると、結果的には、悲嘆と無力感に陥ってしまいます。全く仕事の意欲が湧いてこない、悲観的な気持ちのまま、落ち込んでしまうのです。

この状態がずっと続くと、立ち直れないほど大変な心理状態になってしまいます。

このような危機事態の心の危機は、我々の身近にいる信頼できる人、身近な家族、教師といった人たちが、心のケアをしてあげることが望まれます。

一生懸命、本人の自責感を聞いてあげてから、「あなたは、これまで一生懸命にこの子にやってあげたではないか。

このようなこともやってあげたでしょ。」という形で、一生懸命に、本人の罪悪感を癒してあげます。

あるいは、その怒りを受け止めてあげることもよいと思います。「あなたが、加害者を憎む気持ちはよく分かります。

とても憎いでしょう。私も、それを知っただけで怒りがこみ上げてくるのを、抑えるのが大変なくらいです。」という感じで、共感しながらその気持ちを受けとめてあげるとよいのです。

そうしてくれる人がいたら、危機的な心の状態は癒されます。

これが、癒されないままに、本人が自責感を抱えたままでいると、非常に悲観的な心理状態になってしまうのです。

阪神・淡路大震災後の被害の中で、老人の自殺が増えた背景には、家族を失い、独居になり、自分を癒してくれる人を失ったときに、ずっと落ち込んだ状態が続いた現実があったことが考えられます。生きるエネルギーを失ってしまうことが当然起こってきます。

ですから、危機的事態が避けがたい事実として起こったときには、私ども教育現場において必要なことは、2次被害を含めた被害をどのようにして最小限に食い止め、この危機の被害、特に心のケアの問題をどのように回復するかという視点で、十分な支援を行うことが大切です。

場合によっては、専門家の力を借りなくてはいけないことも起こります。
(上地安昭元兵庫県立教育研究所・心の教育総合センター所長)

学校安全と危機教育 第9回

危機対応チームにはモデルが必要

その1
日本の学校での危機対応チームの組織の組織化とその役割分担については、私の考えたモデルで説明したいと思います。

文科省は、各学校ごとに危機チームを組織化するようにアドバイスしていますが、日本の場合には、校務分掌にうまくのせることが1つの方法だと思います。

学校現場の管理職の経験から言わせてもらえれば、校務分掌に乗せる私のモデルのような形が望ましい気がします。

危機対応チームの組織のトップには教育委員会を位置づけ、教育委員会は学校への指示と支援、行政機関への連絡と支援要請を行います。

学校の管理職は学校内の統制と指揮、教育委員会や学外の警察などへの支援要請、マスメディアへの対応、危機対応の経過を記録します。

この記録を取ることはとても大切です。

危機が起こったら、時系列に沿って、何時どこで事件が起こり、どの先生がその場に立ち会い、どのような対処をしたのか。警察には、いつ連絡し、救急車が何時に来て、負傷者が何人だったのかという確認などを記録します。

そのような危機対応の経過の記録です。

これは、今後、とても重要になって来ます。

ご存じのように、学校の説明責任の問題から、学校で事件・事故が起こったとき、教職員は、その事件・事故に対して、最大で最善の対応をしたという実証記録を提示しないと、学校の責任を問われかねません。そういう時代です。

日頃から、特別に「危機」を意識しなくとも、教室やグランドで、ちょっとした出来事があったら、習慣として、全ての教師に発生した時間とその出来事の内容の簡単なメモを取ってもらうのです。

メモには、児童の名前とどこでケガをしたか、どのような対応をしたかといったことを簡単に記録しておきます。

そのような習慣が身についていれば、特に危機が起こったからといって、特別なことをすることにはならないと思います。

この習慣づけは、管理職が日頃から気を付けておき、出来事に対する記録をきちんと保管しておきます。

この記録に基づいて学校が対処した内容を公表することは、これからの説明責任の時代に非常に大事な課題だと思います。

危機チームでの管理職の役割には、教職員の健康チェックも含まれます。危機が起こると、教職員は児童・生徒の面倒をかなり見なくてはならなくなります。

それで、教師が過労でまいってしまう状況が起こります。管理職は、このような教職員のバーンアウトを防がなくてはなりません。

事件・事故が一度起こると、事件が一応治まった段階で、教師にいろいろな問題や2次被害が起こったりするからです。

長崎県佐世保市の小学校での事件でも、担任が学校に出てこれない不登校状態に陥ってしまいました。

他の事例では、ある事件が起こり、担任が責任を感じて行方が分からなくなったことがあります。

数日すると、その先生が自殺していたという事件も過去にはありました。

教職員の健康チェックとケアは、管理職の大きな責任です。

危機チームでの生徒指導担当の役割は、児童生徒への対応、危機現場での実践的対応、警察や補導センターとの連携を図ることです。

学年・学級担任は、学年・学級の安全の確認と対応、保護者との連絡、教室での心のケアを担当します。

教務は、管理職の代理と補助を務めます。翌日の授業を休校にするか、授業をするとすれば、どのような授業にするかについて、管理職と相談して決めなければなりません。

このほかにも、保護者会をいつ開くかということも大切な役割です。

事件・事故が起こったら、できるだけ早く保護者会を開くことがポイントです。

保護者に報告し、保護者の理解と支援を要請します。

保護者会の開催は、管理職の指示のもとに、教務担当者が責任を持って実施することが大事です。

進路指導・図書・事務担当の役割は、教職員間の連絡、電話番などの補助に徹することです。養護・保健・教育相談・カウンセリングの担当者は、心身のケア、負傷者の搬送などを行う責任があります。

その2
学校や地域を巻き込んだ危機事態になると、学校だけでは対応できません。

ですから、学校、教育委員会、教育事務所を中心に、地域の警察署、消防署、警備保障会社などの機関との連携を組織化することが必要になります。

年に1回か2回このような、学外の危機支援機関と学校の危機対応チームとのミーティングを開きます。

例えば、長期休暇を前に警察と保護者が、青少年の長期休暇中の補導などの非行対策について話し合うことも考えられます。

これに限らず、もっと、学校危機という1つのテーマで、地域のネットワークをつくり、危機が起こったときに支援要請できる関係づくりが望まれます。

私が、提案したいことは、各教育委員会に、学校危機を専門とする教育主事を1人配置することです。

学校危機の専門的な学問というのは、先ほどの危機介入に始まり、最近ではかなり進歩してきています。米国ではそのような専門家がかなりの数養成されています。

ですから、学校の事件・事故、災害に対応する専門家としての教育主事を1人置き、管内の学校にいろいろな事件・事故が起きたり、学校の要請があった場合に派遣される仕組みをつくっておくのです。

派遣先では、支援活動や事件・事故の解決にいろいろとアドバイスします。

教育委員会が、このような体制づくりを進めていくことはこれからの課題だと思います。

兵庫県を例に取ると、大震災の教訓から、教職員の中に、「アース」という自然災害時の復興専門教員がいます。

教職員の中から、年間何度か研修を重ねながら、専門職員を養成するプログラムがあります。

「アース」を1つの参考にしながら、もっと幅広くいろいろな事件・事故、災害を含めて、学校の危機に対応できる専門家が身近にいて、我々はいつでも要請できるような体制をつくるべきです。

しかも、その中心に、近辺の学区内の支援機関とのネットワークをつくっておきます。

そうすると、学校も非常に心強い。いざ何かあったら、支援機関に支援を頼むことができます。

(上地安昭元兵庫県立教育研究所・心の教育総合センター所長)