学校安全と危機教育 第1回

学校危機対応とは

その1

私がこれから、講義をする内容は、学校危機対応の問題です。この研修の機会に、学校の危機の実態はどのようなものなのか、そのような危機に対して、教師・教職員は、どのような対応をすればよいのかについて、話を進めていきたいと思います。

当然のことですが、学校は安全でなければなりません。特に幼稚園・保育園児、小・中学生は、発達・成長途上にあり、自分の安全を守り、危機に対応する能力が十分備わっているとは言えません。

そのような子どもたちを守るのは、教職員の役割であり、大変重要な課題だと思います。最も我々が期待することは、どの子ども、児童・生徒にとっても、あるいは、我々の過去を振り返っても、学校という場は安全・安心であり、我々の生涯をかけての心のよりどころであることです。

母校という言葉に我々はなじみがあります。10年、20年、30年、経過してもかつて学んだ母校、母校同期生、同期会が盛り上がるのも、我々が学校時代の懐かしい楽しい思い出を基盤とし、我々の生涯の心の支えになる学びの場であるからです。

しかし、このような心のよりどころであるところの母校で、もし、在学中に何らかの事件・事故が起こったり、いじめによって、大きな心の傷を負うようなことになってしまったとしたら、子どもが傷ついて卒業していくことになります。

そのような状況の中で、子どもたちや卒業生にとって、生涯、心のよりどころとしての母校というものは、果たしてどうなってしまうのでしょう。

私は、やはり、教職員は、子どもたちの生涯の心のより所としての学校の安全を保障する責務を担っていると考えます。

学校における事件・事故が多発する傾向にあります。平成13年6月に起きた大阪教育大学附属池田小学校での事件、平成15年末、京都府宇治市立宇治小学校で、あるいは、兵庫県伊丹市立桜台小学校で起きた外部からの侵入者の事件、平成16年6月の長崎県佐世保市の小学校での事件を、学校のそのような危機事態への警鐘として、我々は真剣に受け止めなければなりません。

その2

それでは、学校の安全をどのように実現すればよいのでしょうか。危機という用語を専門的な見地からとらえてみたいと思います。

21世紀に入ってから、我々の身近な新聞報道、いろいろな場面で、危機管理という言葉をよく耳にします。

学校の危機のほかには、特に、2001年に起きたニューヨークのテロ事件以来、イラク戦争の危機があり、最近は原油高騰による経済危機などがあります。

身近なところでは、リストラによる中高年の失業に伴う生活危機や自殺の危機など、いろいろな危機用語があります。

しかも、ちょうどテロ事件が起こった年の平成13年の池田小学校の事件以来、学校では学校の危機管理という問題が、重要な学校の危機対応の課題として受け止められています。

危機という用語を今一度理解してみると、「クライシス」(crisis)というのが、我々が言っている危機に当たります。

これはギリシャ語の「クリシス」(krisis)が語源で、重大な事態がよい方向に向かうのか、あるいは逆に悪い方向に向かうのか、この分岐点を指します。大変な重病、危篤状態に陥った患者に対して「今夜が山」という言葉を使うことがあります。

その時には、今夜をうまく過ごせば命は助かるが、今夜をうまく過ごせないと死だということを指しています。大変な生命の危機に陥ってしまっています。

ですから、我々が、「クライシス」という危機の言葉を理解するときには、一方的に危険な状況を予測するというだけではなくて、この危機事態をうまく乗り越えると、好転する1つのチャンスもあることを頭に入れておいてほしいのです。

危機は、危険な方向と安全・安心な方向へ好転する瀬戸際であり、そのような2方向の分岐点だという理解が必要だと思います。

我々が、危機対応や学校の危機について、研修を重ねたり、事前の備えをいろいろと十分に行うのは、これをうまく乗り越えればどうにかチャンスにも生かせるという方向性があるからです。

だからこそ、危機に対する積極的な取り組みが必要です。

あらためて、日本語の「危機」という用語をみると、非常に適切なつくりになっていることに気づきます。

「危険」の「危」とチャンスという「機会」の「機」が、うまく用語に出ています。この視点で、危機をとらえていただきたい。

さらに、米国の著名な精神保健学者のキャプランは、危機事態は「一時的に個人のいつもの問題解決手段では解決ないし、逃れることが困難で、しかも重大な問題を伴った危機事態へ直面した、個人の精神的混乱状態」と説明しています。これは英語を直訳したものです。

危機というのは永続的に、5年も10年も続くものではありません。

ある一時期、一過的なものであることと、しかもその事態においては、個人の通常の手段では解決ないし克服が困難な事態であることを理解しておく必要があります。

危機に陥った個人は、精神的混乱、異常な危険な状態に陥ってしまうものなのです。
(上地安昭元兵庫県立教育研究所・心の教育総合センター所長)