www.konayami.com

TOP > 教育・子どもの25年史 第7回

教育・子どもの25年史 第7回

牟田武生

80年代、登校拒否(不登校)の児童・生徒数は3万人前後だったが、そのうち 約半数の子どもは、親にも先生にも気持ちが分かってもらえずに、自ら閉じこもる行動をとる ので、今日では一般的に言われるようになった“ひきこもり”ではなく“閉じこもり”と呼ば れ、自閉気味な子どもと理解されていた。

その当時、登校拒否(不登校)になる子どもは、大人しく、真面目で、よく勉 強も出来、感受性が豊かで、どちらかというと気が弱い、繊細な完全主義の子ども達が多かった。

登校拒否(不登校)になった父親の職業は大学や学校の先生、医師、弁護士な どの法律家、エリ−ト公務員、幹部銀行員などのホワイトカラーの人がほとんどだった。それら の人は専門的な知識を持ち、管理をしたり仕事や他人の相談に応じたりするの仕事なので、社会 的なストレスがかかりやすかった。また、私生活の面でも人から見られているのではないかと、 必要以上に気を遣うことが多い、まじめで無趣味な父親が日常生活でのストレスも溜め込みなが ら生活する人が多かった。

母親はそんな父親の負担を少しでも和らげるために、子育てを自分一人で背負 い込んでいた。本当は子育てのことで父親に相談したいのだが、父親に負担をかけるのではない かと心配し、相談できずに様々な子育て不安を抱え、家事一切を引き受けて生活していた。

本来、大人しく、まじめで気の弱い、感受性の鋭い子どもは「お父さんのよう になりたい」そのためには勉強しなければいけない。「お母さんに、これ以上負担をかけてはい けない」と思い込み。誰にも相談をしないで勉強・部活・日常生活でも頑張っていた。その子達 がストレスを抱え込んで身体症状が起き、朝起きれなくなって登校拒否(不登校)になった。

その当時、東京都教育研究所所長で早稲田大学小泉英二教授は「優等生の息 切れ型」と呼び、文部省のタイプ分け分類によると「不安などの情緒的な混乱」にあたるので、 多くの専門家は「神経症タイプ」の登校拒否(不登校)と呼んでいた。

対応する精神科医やセラピスト・カウンセラー・相談員は、生活時間を壊す (昼夜逆転の生活)、大切にしている学校や仕事場を壊す(学校や仕事に行かない)、人間関 係を壊す(他人との関係を絶って閉じこもる)など、人として生きるために大切な3つの要因 を壊す行動をとるので、大変な病気が起こったと考えた。精神分裂病(統合失調症)の患者も これらを同時に壊す行動はしなかった。

これらの3要因を絶つので、親にとっては大変なことだが、治療者や相談者 にとっては、本人が診察や相談に来ないので為す術がない。また、閉じこもりは学校の先生に とって、学校の名誉や教育者としての立場を傷付ける非行や犯罪のような反社会的な行動では なく。非社会的な行動なので、多くの先生は数回の家庭訪問をして、本人に会えなければ、そ のまま、刺激をしないようにという配慮からほっておかれた。そして、学年末になると進級・ 卒業判定会議にかけられ、最終的には校長判断で、児童生徒によっては原級止め置きになって いくケースさえあった。

このような状況から、当時、いじめや校内暴力がクローズアップされ、閉じ こもりの問題は児童・生徒の問題行動としては、影の部分として扱われ、充分な対応がなされ ないまま80年代は過ぎていった。

2005.7.15

トップへ

TOP | 第1回 | 前号へ | 第7回 | 次号へ


ご協力いただいている執筆者の略歴:牟田武生(むたたけお)

牟田武生(むたたけお) 1947年生まれ。72年に民間の教育相談機関である教育研究所を設立し、不登校を含めた 教育問題の相談・援助活動に取り組んでいる。現在、 NPO法人教育研究所(横浜市港南区)理事長。91年に教師・カウンセラー・児童相談所の相 談員等不登校にかかわる専門家を対象にした研修機関として不登校問題研究会を設立。元NHKラジオ「子どもと教育電話相談」相談員、不登校問題研究会代表幹事、元文部省 「不登校の実態に関する調査」検討委員会委員。
主な著書:『ひきこもり/ 不登校の処方箋 増補版』(オクムラ書店)、『すぐに解決!子どもの緊急事態Q&A』 ( オクムラ書店)、『ネット依存の恐怖』(教育出版)など。